おそばやさん

 半刻ほどに地団駄を踏み、「遂に」、と颯爽と席に腰をかけ、ざるそば二枚と焼き海苔と出し巻き卵、それに冷酒を注文し、冷酒のお通しに出された二切れの出し巻き卵を見て、板わさへの変更を伝える。

 出し巻き卵に箸を押し付け、片割れを食べる。冷えているとはいえ出汁の効いた玉子焼きは冷酒の甘味と香りを膨らませ、また別の飲み物へと変貌させる。

この、日本酒が料理と交合う瞬間に潜在的な甘味が開花する感覚が堪らなく、我らが日本酒を飲み続ける理由はここにあるのだと思う。

 突き出しの器を端に追いやったところで、遅ればせながらも板わさと焼き海苔が到着する。

板わさも焼き海苔も蕎麦屋に於いては一流のお品として蕎麦や天麩羅と肩を並べることが許されている理由は、矢張り実際に味わうことがなければ解るまい。

 板わさは練り物屋が拵えたものであり、箸で口まで運ぶ間に、その重さを知ることとなる。

ところどころに練りムラがある身はギチギチに締まり、歯ごたえがバツバツンと、噛み切られた断面から白身魚の旨味とほんのりとした塩気舌の味蕾を刺激して、更に咀嚼を加速させる。

山葵が鼻腔を拡げ爽快な空気を取り込み、酒で流したところで次は醤油をつけて戴く。

蒲鉾本来の塩気とは別の、醤油の塩気と大豆の味わいが蒲鉾の繊細さを損なおうとすることない。

 焙炉の蓋を開けると磯の香りが立ちあがる。

炭火で暖められた海苔を片手でパリッと口で千切って、もう片方の手で酒を飲む。